きっと今の世の中、どうかしちゃってる・・・
自分の内側は平和なはずのに、自分の周りを見渡すと、とても天国なんかには思えない・・・
まるで今の世の中は地獄のようだ・・・
そう感じている方も多いかもしれません。
確かに、外側を見渡すと、おかしなことだらけです。
本当にこれが現実なのか?と疑いたくなってしまうようなことが日々、当たり前におきています。
現実(外側)だけをみたら、地獄に思えても仕方ないかもしれません。
でも・・・
現実はいくらでも自由に変えられます。
地獄を天国に変えるのは一瞬でできます。
今回は一瞬で、地獄を天国に変えられちゃうお話になります!
地獄から天国に一瞬で変える方法!
地獄と天国といった表現をしましたらが、地獄をネガティブ、天国をポジティブなどに置き換えて頂いたも構いません。
では、どうしたら今の地獄の現実を天国に変えることができるでしょうか?
それは・・・
捉え方を変える
ことです。
このブログや動画でも、何度もお伝えしていますが、僕たちの住む星では、思考(潜在意識レベル)が現実化する世界です。
内側で想像したことが、外側の世界に現実として創造されます。
内側で地獄を想像すれば、現実にも地獄が創造されます。
内側で天国を想像すれば、現実にも天国が創造されます。
今が全てパーフェクト!必要なものは全て与えられている
現実を天国と思えない理由の一つに、不足感があります。
要するに、
あれがない。
これが足りない。
といった感覚です。
こうした不足感があることで、現実を天国とは思えなくなっています。
でも、これは事実でしょうか?
本当に、何かが足りていないでしょうか?
何かが不足しているのでしょうか?
確かに、周りと比べると、足りていないように思えるものがあるかもしれません。
数値や基準に当てはめると、不足しているように思うものもあるかもしれません。
お金が足りない・・・
栄養が足りない・・・
友達が足りない・・・
時間が足りない・・・
でも、これは錯覚です。
僕たちは常に今必要なものは全て与えられています。
そして、今が常にパーフェクトです。
その証拠に、今この瞬間にこの状態で存在しています。
そんなの当たり前。
そう思うかもしれませんが、これって本当に当たり前でしょうか?
今この瞬間、この状態でいるのはある意味奇跡
僕たちは、1日に3万5000回の選択を繰り返していると言われます。
1日3万5000回ということは、1年なら1277万5000回です。
僕は今45歳なので、これに45を掛けた数(5億7497万5000回)、の選択を繰り返してきたことになります。
単純計算ではありますが、今までに5億回以上の選択を繰り返してきたことになります。
そして、このどれか一つの選択が違っていても、今と同じ自分の存在はありません。
そう考えたら、どうでしょう?
今この瞬間、この状態で存在していることが奇跡だと思えませんか?
必要なものが全てあるから、今この状態で存在できています。
不足感があったとしても、現実を天国だと思えなかったとしても、それも含めて、今がパーフェクトです。
なぜ現実を天国と思えないのか?(ブータンの幸福度)
同じ現実を見ても、この現実を天国と見る人もいれば、地獄と見る人もいます。
では、なぜ同じ現実を見ているのに、天国と見る人がいれば地獄と見る人もいるのでしょうか?
その理由は捉え方にあります。
今の現実とどう捉えるかで、見える世界が大きく変わってきます。
ブータンの幸福度の話がわかりやすいと思います。
南アジアにあるブータンは、発展途上国ながら2013年には北欧諸国に続いて世界8位となり、“世界一幸せな国”として広く知られるようになった。国民が皆一様に「雨風をしのげる家があり、食べるものがあり、家族がいるから幸せだ」と答える姿が報じられたのを覚えている人もいるだろう。
しかし、ブータンは2019年度版で156か国中95位にとどまって以来、このランキングには登場していない。
「かつてブータンの幸福度が高かったのは、情報鎖国によって他国の情報が入ってこなかったからでしょう。情報が流入し、他国と比較できるようになったことで、隣の芝生が青く見えるようになり、順位が大きく下がったのです」
http://www.japan-un-friendship-associations.org/bhutan/news/202110_4/index.html
要するに、今まで内に向けていた目が外側に向いて、周りと比べるようになったことに原因があります。
周りと比べることで捉え方が変わったということです。
捉え方が変われば見える現実もかわります。
現実そのものは変わらなくても、捉え方によって、それは天国にも地獄にもなります。
天国と地獄の違いは心(内側)だけ
結局、天国と地獄の違いは、自分の心(内側)だけです。
だいぶ前(子供の頃)に、確か日本昔ばなしでこんな話を見た覚えがあります。
昔、ある所に、地獄と極楽の見学に出掛けた男がいました。最初に、地獄へ行ってみると、そこはちょうど昼食の時間でした。食卓の両側には、罪人たちが、ずらりと並んでいます。
「地獄のことだから、きっと粗末な食事に違いない」と思ってテーブルの上を見ると、なんと、豪華な料理が山盛りにならんでいます。
それなのに、罪人たちは、皆、ガリガリにやせこけている。「おかしいぞ」と思って、よく見ると、彼らの手には非常に長い箸が握られていました。恐らく1メートル以上もある長い箸でした。罪人たちは、その長い箸を必死に動かして、ご馳走を自分の口へ入れようとするが、とても入りません。イライラして、怒りだす者もいる。それどころか、隣の人が箸でつまんだ料理を奪おうとして、醜い争いが始まったのです。
次に、男は、極楽へ向かいました。夕食の時間らしく、極楽に往生した人たちが、食卓に仲良く座っていた。もちろん、料理は山海の珍味です。
「極楽の人は、さすがに皆、ふくよかで、肌もつややかだな」と思いながら、ふと箸に目をやると。それは地獄と同じように1メートル以上もあるのです。
「いったい、地獄と極楽は、どこが違うのだろうか?」と疑問に思いながら、夕食が始まるのをじっと見ていると、その謎が解けました。極楽の住人は、長い箸でご馳走をはさむと、
「どうぞ」と言って、自分の向こう側の人に食べさせ始めたのです。にっこりほほ笑む相手は、「ありがとうございました。今度は、お返ししますよ。あなたは、何がお好きですか」と、自分にも食べさせてくれました。男は、
「なるほど、極楽へ行っている人は心掛けが違うわい」と言って感心したという話です。同じ食事を前にしながら、一方は、俺が俺がと先を争い傷つけあっています。もう片方は、相手を思いやり、相手から思いやられ、感謝しながら、互いに食事を楽しんでいます。
https://bukkyouwakaru.com/dic/s34.html
どちらが幸せかということは明らかなことです。
確かに、現実を見るとおかしなこといっぱいあります。
地獄マインド(奪い合いや争い)によって、傷つけ合い、苦しめあっている人(口)たちもいます。
でも、それも心次第です。
不足していると思うから、奪い合うのです。
争い合うから地獄になるのです。
必要なものは全て与えられています。
そして、今が全てパーフェクトです。
だから、現実も天国なんです☆
そして、この先の未来も、全てがパーフェクトです☆