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このブログの運営者ピーター、の自己紹介ページになりま〜す☆
ニックネーム
ピーター
この写真の車は・・・
僕の車ではありません〜!(笑)
Aさんの車が素敵過ぎたので、勝手に使わせて頂いていま〜す☆(笑)
僕のニックネームがなぜ、ピーターなのかはご想像にお任せします!(笑)
略歴
1978年:神奈川県藤沢市、池野家の長男として産声をあげる。
1985年:藤沢市立大庭小学校に入学、喘息と闘いながらも、少年野球に謳歌する。
1991年:藤沢市立大庭中学校に入学、バドミントン部で準優勝に輝くも。
1994年:私立藤沢商業高等学校に入学、バドミント部を退部。
停学処分など色々とありながらも、何とか高校を卒業する。
1997年:都内某中華料理店にコックとして入社、10年後の独立開業を夢見て、修行の日々を過ごす。
2002年:自分の将来に自身が持てなくなり、4年5ヶ月で退職。
それと同時に、今の妻と入籍する。
その後、病院調理や給食施設などを転々とするが、どこも長続きせず、嫌になって辞めてしまう。
2004年:副業で始めたインターネットビジネスがブレイク。
2005年:独立開業。
月収は最高で300万円。不労所得(権利収入)だけでも100万円を超えるようになる。
2008年:長男の誕生と共に、ベジタリアンになる(きっかけは、時短の為に、朝食抜きを始めたこ)。
リーマン・ショックにより、FX、MMF、株式投資で一瞬のうちに、数百万円を失う。
お金で幸せと安心を買えないことに氣付き、この頃から自己投資に目覚める。
読んだ本は年間400冊。心理学や自己啓発なども学び、自己投資に使っただ額は1000万円を超える。
その内の1冊『ザ・シークレット』を読んだことで、自分の人生が『引き寄せの法則』で成り立っていたことに氣付く。
今までの自分は『逆引き寄せの法則』が起きていました。
2011年:極度の上がり症を克服するために、学び仲間から紹介されたNLPを学び始める。
その甲斐あり、上がり症は克服して、セミナー講師として登壇できるまでになる。
しかし、お金も稼げて、目標などは次々、達成するも、なんとなく無理をしている自分。本当の自分の人生を歩めていない自分に氣付く。
2013年:セミナー仲間から誘われて受けたウェルシーマインドで、人生が激変する。同時に今までの自分を作り上げていた多くの思い込みに氣付く。
2014年:それをきっかけに、この年の4月に憧れだった沖縄に移住する。
10月に自分の人生を激変してくれた、ウェルシーマインドのトレーナー資格を取得する。
2015年:インターネット上に構築していた権利収入の仕組みを全てたたむ。
2016年:ウェルシーマインド独自の引き寄せ理論を元に、新たなカリキュラム(ウェルシーマインド式『引き寄せの法則』)を構築。個人セッションを中心に、クライアント様の、真の悩みやトラウマを解消し、本来の自分の人生を歩む為めるためのサポートをセラピストとして行う。
同年、スピリチュアル的なメッセージを受け取り、自然循環と人と人の繋がりをテーマにした、縄文式の村づくりを始める。
2017年:食で発達障害が改善した事例を聞き、地元(沖縄)の人を相手に、手作りの玄米麹を使った玄米味噌作りやミネラルたっぷりの、ミネラル醗酵ドリンク教室などを開催するようになる。
4年間で延べ1000人以上の方が参加をしてくれて、テレビや新聞などからも取り上げられるようになる。
2020年:コロナによって、教室関係の活動を自粛する。代わりに始めたのが、電子書籍の執筆。
多い時は月に1冊以上のペースで、電子書籍をリリースする。
現在は、電子書籍で、自分の想いや世界観を発信して、世の中を良くしたい!誰かを幸せにしたい!そういう人のために、電子書籍の出版コンサル&プロデュースを始める。
2022年:遊牧民型の縄文村創りの雛形作りのために『お庭でバンライフ』を始める。
現在:単なるビジネスコンサルではなく、ソーシャルビジネスで成功できる人の応援や、誰もが好きなことや得意なことをしながら、経済に頼らなくても、暮らしていけるような環境づくりとして、『自給自足塾』の運営を準備中。
ボロボロでどん底の人生から、最高の引き寄せ人生へ!
なぜ、喘息でランドセルも背負えなかった僕が、13年間全く病気をせず、憧れだった沖縄への移住や400kmマラソンの完走、また、お金や常識に縛られない、自由な人生を送ることができるようになったのか?
・人と違うことに苦しんでいた幼少期
小さい頃から直感が働き、幼少期の頃はジャンケンに負けた事がなかった。
小学校の時にやっていた少年野球では、少し先の未来が見えてしまい、普通なら走らない所で走ったり、打たない所で打ったりしていたので、それが勝ちに繋がっても、いつも監督からは叱られていた。
その能力を持っていると、不都合なことが多く、段々とその能力を閉ざしてしまう。
また、幼稚園の時から喘息が酷く、小学校に上がってからも自分のランドセルを背負えないくらいに体が弱かった。
近所の女の子が僕のランドセルも背負って、一緒に学校に通ってくれた。
喘息そのものも苦しかったが、それで親に迷惑をかけるのが一番辛かった。
生きていることに喜びを感じられず、小学校2年生の時には早くも自殺願望が芽生える。
・がむしゃらにもがき続ける日々
それでも、
「努力すれば、成功できる」
という親の言葉を信じ、苦しみながらも生き続ける。
人前で努力することが嫌だったので、陰で努力をするも、誰も認めてくれないのが辛かった。
唯一、少年野球のコーチだけが、僕の努力を認めてくれたのが嬉しかった。
大人になってからは、時々、地震を当てたり、交通事故になりそうになった時に、その能力によって、何度か命を救われた事はあったが、普段はほぼ、使えなくなっていた。
常に自分の人生を生きられている感覚は無かった。
高校を卒業して、調理の厳しい世界に入ったこともあり、一時は過労とストレスで、血尿が出るくらいに、身体がボロボロになる。
大人になってからも、常に病院と薬に頼る生活が続き、月の医療費(サプリなど含む)は5万円を超えていた。
でも、お金さえ稼げれば幸せになれる。と信じ、28歳で自分の店を持つことを夢に、とにかくがむしゃらに働いた。
しかし、途中で挫折をしていく先輩たちを見て、先輩にできないものが、自分にできるわけがない。
と思い、結婚を機に、その道をあきらめてしまう。
23歳になる、少し手前の時だった。
それからは、病院調理の仕事に就くも、上司との喧嘩や、やりがいの無さなどから、どれも長続きがせず、長くても1年。
短い時は3日で辞めてしまった。
結婚生活に幸せを感じていたが、収入も安定しないし、住まいは築数十年のボロ屋。
冬になると、隙間風で、部屋の中が凍るくらい寒かった。
結婚生活には幸せを感じながらも、減り続ける収入に将来の不安を感じていた。
少しでも、生活の足しにと、インターネットでの懸賞生活を初めるも、当たるのは殆ど、いらないものばかり。
百均の懐中電灯が当たった時、自分は懸賞生活は向いていないことを悟った。
そんな時に、たまたま、出会ったのがインターネットビジネスだった。
・人生の転機となるインターネットビジネスとの出会い
Amazonマーケットプレイスで、健康関連の本を購入した時、中古で500円だったその本に付いていたのが、某大手古本チェーン店の100円の値札だった。
初めは、100円のものを500円で売られた?
騙された?
と思ったが、すぐにそれが転売ビジネスであることに氣付く。
とりあえず、近所のその店で3冊試しに購入して、出店をしてみると・・・
すぐに2冊が数百円で売れてしまう。
これなら、自分にもできるかも⁉︎
と思い、派遣の仕事をしながら、副業として転売ビジネスを始める。
1年もすると、ビジネスのコツも掴み、派遣での収入を超え、月収が20万円を超えていた。
これなら、専業で食べていける!
がんばってお金を貯めれば、40歳までには、海外移住をして悠々自適な暮らしができる!
そう思い、派遣の仕事を辞め、個人事業主として独立。
1年もせずに、月収が100万円を超えていた。
ボロ屋から引っ越し、新築2階建の一戸建てに引っ越した時は、初めて成功者の氣分を味わえた。
ただ、ライバルも増えて来たので、この頃から、仕入れをネットでの買取に切り替えた。
アイディアを考えるのが好きだったので、ネットで自動査定ができる仕組みを作る。
検索エンジンでも上位表示されるようになり、買取依頼が殺到する。
殆ど、仕入れをしなくてもネットからの買取だけで、安定的に100万円を稼げるようになる。
同時期にはじめていたブログやメルマガでも、読者が増え、メルマガの読者は1万人を超える。
この頃から、メルマガ読者に向けての情報販売もはじめる。
情報販売でも月収100万円を超え、一時はトータルで月収300万円を稼げるようになる。
稼いだお金をただ、貯金するだけだと勿体無いので、株やFX、投資信託にもチャレンジする。
相場が良かったこともあり、利益は少しずつ増え、投資額と利益を合わせて1000万円を超えるようになる。
しかし、忘れもしない2008年・・・
・稼いだお金、数百万円が一瞬で吹っ飛んだ・・・
リーマンショックによる株安&円高のダブルパンチで、利益は一気にマイナスになり、一瞬のうちに数百万円を失ってしまう。
でも、なぜか清々しい気持ちも感じていた。
お金って何だろう・・・?
僕にとって、ビジネスは単なるお金稼ぎの手段に過ぎなかった。
色々と考えることもあり、結局海外移住の夢を諦める・・・
そのタイミングで、長男が生まれ、仕事を手伝ってくれていた、妻が育休に入る。
仕事も一人で回し、育児も手伝い・・・
となると、当然時間も足りなくなる。
そんな時、通っていた接骨院で見つけたのが朝抜き断食(プチ断食)の本だった。
・時間節約のつもりではじめた朝断食で、驚きの変化⁉︎
これなら、朝ごはんの時間が節約できる!
そう思い、3ヶ月限定のつもりで、朝抜き断食を始める。
すると・・・
氣が付いたら、シーズン毎に通っていた病院にはあれから15年間、一度も行かなくなり、薬も1錠も飲まなくなっていた。
4kmしか走れなかったマラソンでは69時間で400kmをほぼ不眠不休で走り切った。
性格面でも大きく代わり、貢献心のようなものも芽生えてくる。
すると・・・
これまでのビジネスに疑問を感じるようになり、別のビジネスをはじめたくなる。
今までのようにお金優先のビジネスでなく、人から喜ばれて、相手の笑顔が見えるビジネスがしたい!
そう考えた時に、すぐに浮かんだのが、
講師&コンサル業
だった。
これまでのビジネス経験を元に、同じように稼げる人のサポートをしたら、人との繋がりも感じられるし、笑顔も見れるはず!
これこそが、僕の天職だ!
しかし・・・
そう思ったのも束の間・・・
自分が極度のあがり症であることに氣づく。
こんな僕が人前に立つことなんてできるわけがない・・・
人前に立つくらいなら、死んだ方がましだ・・・
結局、これまで通りの仕事を続けなければならなかった。
そんな時、友達があることを教えてくれた。
・NLP&ウェルシーマインドの出会いで引き寄せが加速!
それが、NLPだった。
「NLPなら、簡単にあがり症を克服できるよ!」
と・・・
半分、眉唾だったが・・・
その言葉を信じて、NLPのスクールに通うことを決めた。
幸い、リーマンショックで数百万円は失ったが、まだ、貯金は残っていた。
そのお金を自己投資に当てた。
その甲斐あって、見事あがり症を克服。
その勢いでセミナーを開催してみると・・・
メルマガ読者を中心に、南は福岡、北は北海道まで、20名以上の人が、東京の会場に集まってくれた。
その後、コンサルにも申し込んでくれて、コンサルビジネスもスタートする。
NLPを学んだおかげで、あがり症を克服しただけでなく、コンサルスキルなども身につけることができた。
そのおかげで、ビジネスの成功者も、どんどん排出することができ、やり甲斐も感じていた。
しかし、成功者を排出できても、心からの喜びは感じていなかった。
笑顔が見たくてやっていたはずが、成功させる事ばかりに意識が向いてしまい、自分自身の笑顔が無くなっていた。
同時に、人が離れていく不安も感じていた・・・
そんな時出会ったのが、ウェルシーマインドだった。
NLPから派生したもので、お金の悩みを取り扱う(思い込みを書き換える)ことで、人生を好転させるプログラムだった。
一言で言うと、当時流行りはじめていた、引き寄せの法則のグレードアップバージョンといった感じだった。
しかし、当時の僕は仕事の悩みはあったものの、お金の悩みはそれほどなかったので、周りが、大絶賛しているウェルシーマインドには、正直それほど興味は無かった。
しかし、学び仲間がトレーナー資格を取得したこともあり、半分付き合いのつもりで、セミナーに参加してみることにした。
すると・・・
自分でも信じられないくらいの、驚きの体験をしてしまった。
一言で言うと、自分の潜在意識を炙り出されたことによって、一瞬で潜在意識レベルの思い込みが書き変わってしまった。
本当の自分に氣付けたような感覚だった。
・引き寄せは加速するも、ビジネスで初めて挫折を経験する・・・
その後、殆どの仕事をたたみ、憧れだった沖縄に移住をする。
この体験があまりにも衝撃だったので、翌年の2014年には、沖縄から東京に通い、自らトレーナ資格を取得する。
このスキルがあれば、僕がそうだったように、多くの人の人生を変えるお手伝いができる!
そう確信したことで、カウンセラーとしてデビューすることを決める。
しかし、新天地沖縄でのスタート。
今までのビジネスとも違い、お客さんが全く集まらない・・・
100万円以上かけて、動画マーケティングを学んだり、有名プロデューサーにも付いてもらった。
トータル、数百万円をつぎ込んだが・・・
それでも全く売れるようにならない。
サービスには自信があるのに・・・
そんな時、以前から学んでいたKindle電子書籍を使って、その中で、サービスの告知をしてみると・・・
たった1ヶ月で3人の方がサービスに申し込んでくれた!
Kindle電子書籍を使えば、お客さんも集まってくれる。
そう確信をした。
でも、申し込んでくれるのは、県外の方ばかりだった。
できたら、沖縄県内の人にも、受けてもらいたい・・・
そんなある日、ある講演会に参加したことで、その道を変えることになる。
・自分の使命に出会う
食で発達障害の症状が改善することを知ったからだ。
ウェルシーマインドのスキルと、これまで学んできた食の知識を使えば、食で苦しんでいる、多くの人たちのことを救うことができるかも⁉︎
そう思い、地元(沖縄)の人を相手に、手作りの玄米麹を使った玄米味噌作りやミネラルたっぷりの、ミネラル醗酵ドリンク教室などを開催するようになる。
4年間で延べ1000人以上の方が参加をしてくれて、テレビや新聞などからも取り上げられるようになる。
学校の先生やお医者さんなども、参加してくれるようになる。
・誰もが好きなことをして、平和に暮らせる縄文式の村づくり
また、同じタイミングで自然循環と人と人との絆をテーマとした、縄文式の村(コミュニティ)づくりも始める。
これは、ある聖地に訪れた時に、メッセージとして受け取ったことで、スタートする。
ウェルシーマインドを手にしてから、スピリチュアル的なメッセージも受け取れるようになっていた。
最終的には、お金が無くても、誰もが好きなことや得意なことをして、笑顔で暮らせる世界を作ることを目標にする。
そのために、まずは小さくても一つの成功モデルを作りたい。
また、貧富の差、意識の差関係なく、全ての人に食の大切さを知ってもらい、健康で幸せになってもらって、誰もが無料で食事ができるヴィーガンカフェの運営も考える。
全国に広げていくため、ボランティアや寄付に頼るのではなく、ソーシャルビジネスとしての運営を考えている。
まだ、現時点では、試行錯誤の段階だが、最終的に実現できるイメージはできている。
カフェ部分で赤字でも、他の部分で利益を出せる仕組みを作れば、トータルでは、黒字になるので、その分で、更に事業展開をしていくこともできる。
また、今後は同じ想いを持つ人への成果報酬型のビジネスコンサルなども考えている。
成果報酬分を、プールさせてもらって、また、次のソーシャルビジネスに投資をしていき、最終的には、お金を必要としない、縄文的な暮らしのできる環境づくりを目指す。
2017年からスタートした、縄文式の村づくりは破壊と再生を繰り返しながら、2021年に最終的な理想的な形が見えてきた。
それで、始めたのが、このブログのタイトルでもある、『お庭でバンライフ』しながらの、超ミニマムな自給自足ライフの実験です。
このブログでは、その活動の中で得られたこと氣付いたことなどを、発信していきたいと思っています。
また、今後はこの輪を広げていくために、最終的に自立同士の支え合いで大きな環境を作るためにも、まずは、各々がの自立を目指す、『自給自足塾』の運営を考える。
自然も地球も、皆んなが笑顔になる世の中にしていきたい!
そんな地球LOVEな、縄文仲間と一緒に、世の中が良くなること、自分たちの魂が喜ぶことができたら最高に幸せです☆